20代後半から30代にかけて、周りが結婚や出産に沸く中、予期せぬ病気や事情で「子どもを持たない人生」が確定してしまうことがあります。絶望し、街を行き交う幸せそうな子連れ家族を見ては胸を締め付けられる思いをしている方もいるのではないでしょうか。
私は29歳の時、子宮頸がん(ステージ1B2期)が発覚し、子宮を全摘出しました。当時は付き合って1年の彼(今の夫)やその家族に対して申し訳なさでいっぱいになり、涙が止まらない日々を過ごしました。
40代になった今、私は「子どもがいない今の人生を、1ミリも不幸だと思っていない」と断言できます。朝起きた時とか寝る前に、素直に「今日も幸せだなぁ」と思えるのです。
この記事では、絶望のどん底にいた私が、なぜそう思えるようになったのか。10年以上の歳月を経て気づいたことや、子なし夫婦の心境をお話しします。
💡この記事は:
私が病気を乗り越えた話【第1回】です。
29歳、突然の「子宮頸がん」告知と子宮全摘の決断
私の人生が暗転したのは、29歳の時でした。会社の健康診断(エコー検査)で要再検査となり、精密検査の結果「子宮頸がん ステージ1B2期」だと判明したのです。
20代前半でうつ病を患っていた私は、ようやく「普通の人」として働くことができるようになるまで5年以上かかってしまいました。それをなんとか乗り越えて、ようやく社会復帰して2年。仕事が楽しくなってきた矢先のことでした。
ギリギリの選択と、母の涙
当時は子宮全摘出をすすめられるステージでしたが、子宮を残せるかもしれない「トラケレクミー(広汎性子宮頸部摘出術)」という最新の手術が受けられるかどうかの瀬戸際でした。しかし、看護師である母は泣きながら言いました。
「リスクを冒してまで子宮を残し、もし転移してyushiに何かあったら耐えられない」
娘に生きていてほしい母。子宮を残したい私。
治療方針をどうするかは、1~2週間で決めなければいけない状況でした。
付き合って1年の彼(今の夫)への申し訳なさ
当時、夫とは付き合って1年ほどでまだ結婚もしていませんでした。 「こんな病気になった自分を受け入れて、将来も一緒にいてほしい」なんてとても言えず、一度は別れを切り出しました。しかし、彼は私を支える道を選んでくれたのです。
結婚もしていない彼に、子宮を残すか否かの決断を委ねることはあまりにも酷。当時は結婚の約束をしていたわけでもない、ただのカップルでした。彼にも当然相談はしたけれど、今後別れる可能性もあったわけで…最後は自分で決めなければいけないというのが、まだ若い自分にはとても、とても重かった。会社に行こうとしても涙が止まらず、家を出ても駅まで歩くこともできずうずくまり、そのまま家へ引き返しました。あの時ほど、自分の人生が分からなくなった日はありません。
こんなしんどい日々を経て、私は「子宮全摘」を選択しました。
追い打ちをかける「抗がん剤治療」と頭が真っ白になった日
手術は無事に終わったものの、病理検査の結果、想定より腫瘍が大きかったことが判明。念のため抗がん剤治療を行うことになりました。
当時の私にとって、子どもが持てなくなること以上にショックだったのは「せっかく復帰した社会(会社)に、また戻れなくなるかもしれない」ということでした。通院治療とはいえ体への負担が大きく、当時は休職するしか選択肢がありませんでした。
しかも当時の私の社歴では、抗がん剤治療に必要な半年間の休職期間を確保できず、このままでは退職せざるを得ない状況。
すぐに退院して会社へ復帰できると思い込んでいたため、医師から抗がん剤治療が必要という通知を一人で聞いてしまったのですが、その瞬間本当に頭が真っ白になりました。頭からスーッと血の気が引き、血液がすべて足元へ落ちていくような感覚。人間、本当にショックを受けると何も考えられなくなるんですよ。
結果的には、大変ありがたいことに会社が特例で復帰を待ってくれることになり、半年間の過酷な抗がん剤治療を終え、私は無事に社会復帰を果たしました。
「普通の幸せ」を築けない苦しみと、3年間の葛藤
もともと「絶対に子どもがほしい!」と強く熱望していたわけではありません。「いつか大切な人と結婚したら、普通に子どもを産むんだろうな」という程度でした。
しかし、いざ「産めない体」になってみると社会の景色は一変しました。
- 夫や義実家への申し訳なさ:
すでに結婚を意識していた夫に対して、「ごく普通のありふれた、子どものいる幸せな家庭」を提供してあげられないことへの罪悪感。 - 友人とのギャップ:
周りは第一次出産ラッシュ。妊娠中の友人が、悪気なく幸せそうにお腹をさすっている姿を見ては、複雑な感情が渦巻きました。
術後3年ほどは、経過観察のたびに「再発したらどうしよう」という恐怖と、子どもがいない苦しさをずっと引きずっていました。そんな私を、夫は「子どもが産めなくなったあなたと添い遂げる」と決め、支え続けてくれたのです。
40代になった今、子どもがいない人生を「不幸」と思わない理由
それから10年以上の歳月が流れました。 何か劇的な出来事があったわけではありません。よく言われる話ですが、「時間の薬」が私の心の傷をゆっくりと癒やしてくれました。
40代になり、自分の人生を俯瞰して見つめられるようになった今、私はがんになったことや子どもがいないという事実に対して、悲観的な感情を一切持っていません。
今の私が、自分の人生を愛せるようになった理由を自分なりに考えました。
「これが私の人生」と丸ごと受け入れられたから
今の自分について、卑下することも、強がることもありません。「これが私だよね。たまたまこういう人生になったけど、まあこんなもんだよね」と、自然体に受け入れられるようになりました。精神的に自分自身が成長できたのだと思います。
周りの子どもを素直に可愛がれる心の余裕ができたから
昔はあんなに苦しかった子連れの家族を見ても、今は「元気だねー」と微笑ましく思います。親戚の子どもも、普通に心から可愛がることができます。
夫と「2人の幸せ」を共有できているから
何より、絶望の底にいた私を支え、結婚してくれた夫の存在があります。 夫は、笑いながらこう言ってくれます。
「子どもは結果的にいないけど、これはこれでいいんじゃない?2人でやりたいことできるし、休日もゆっくり寝られるし、お金も貯まるしね」
どこまで本心かは分かりません(笑)。
でも、そうやってなんでもないことのように扱って笑ってくれる夫の隣で、「今日も相変わらず幸せだなぁ」と思えること自体が、私の人生の正解なのだと感じています。
がんを乗り越えた私のその後(第2回へつづく)
子どもがいない人生が確定した瞬間は、世界の終わりかと思うほどの絶望でした。でも、10年経てば、人は変われます。今ある選択肢の中で、いくらでも幸せになることはできる。
もし今、子どもが持てないことで苦しんでいる人がいたら。今は信じられなくても、10年後には笑える日が来るかもしれません。「時間の薬」は、とても効果があります。
ただ、当時の私はこの「子なしの寂しさ」や「社会的な責務を果たせなかった罪悪感」を埋めるために、ある極端な行動に出ました。それが「仕事の鬼になる」ということでした。
女性が少ないIT業界で、見下してくる人を叩き潰す勢いで働き、実績を上げ、燃え尽きるまで走り続けた30代。そんな私が、40代になってなぜそのキャリアへの執着を手放し、夫との時間を最優先するようになったのか。
次回の記事では、私の「バリキャリ狂騒曲とその終焉」についてお話しします。



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