子どもを持つ可能性を突然失った私から見た、不妊治療と『配慮』の話

子どもを持つ可能性を突然失った私から見た、不妊治療と『配慮』の話 子なし夫婦の暮らし

こんにちは、yushiです。
40代、夫婦二人暮らし。私は長らく管理職として働いてきましたが、現在はバリキャリを卒業し、これからの働き方やセミリタイア、夫婦二人のお金や暮らしについてこのブログで綴っています。

私は29歳のときに子宮頸がんになり、治療のため子宮を全摘出しました。そのため、我が家には子どもがいません。そんな私の視点から見た「不妊治療」について、今日は書いてみたいと思います。

💡この記事ではこんなことを書いています:
・子どもを持つ可能性を突然失った私から見た、不妊治療のつらさ
・妊娠報告や「配慮してほしい」という言葉を巡って感じる違和感
・希望が残り続けることの重み、お金、そして将来設計について思うこと

友人が妊娠したときに経験した「傷」

私はこれまで、不妊治療を受けたことがありません。妊活を何年も重ねたこともなければ、治療を続けるべきか、諦めるべきかで悩んだ経験もありません。

29歳で子宮頸がんと診断され、子宮を全摘出する手術を受けました。そのため私は、妊活について葛藤する前に、子どもを持つという可能性そのものを突然失いました。

※当時の心境や、その後なぜ取り憑かれたように仕事へ没頭していったのかについては、以前の記事に詳しく書いています。

子どもを持てなかった私が仕事の鬼になった理由|子なし夫婦の人生(2)
こんにちは、yushiです。関東在住の40代前半子なし共働き夫婦、セミリタイア(サイドFIRE・バリスタFIRE)を目指している元バリキャリ会社員です。で、私は29歳で子宮頸がんを患い、子宮全摘出によって「子どもを産めない人生」が確定したこ…

病気を告げられたとき、私の頭を真っ先に占めたのは「自分は死ぬのだろうか」という恐怖よりも、「まだプロポーズもされていない今の夫との子どもを、私はもう産めないのか」というショックでした。当時の私は、好きな人と結婚して子どもを産み育てる人生を当たり前のように想像していました。それがある日突然、強制的に絶たれた形です。

あれから10年以上が過ぎた今、子どもを持てなかったこと自体について普段の生活で思い悩むことはなくなりました。強がってそう言っているわけではなく、夫婦二人で過ごす今の暮らしに満足しているからです。

でも、当時は当然つらいこともありました。不妊治療について思うことを書く前に、ひとつ過去の経験を書いておきたいと思います。


私ががんの治療を終え、ようやく会社員として普通に働けるようになった頃、友人夫婦と3人で会う機会がありました。妊娠中だった女性の友人も、その夫も私の友人です。そして二人とも、私が手術を受けたばかりで、もう子どもを持てないことを知っていました。

二人に悪意があったとは今でも思っていません。私を傷つけようとしたわけでも、幸せを見せつけようとしたわけでもなかったはずです。ただ、その日二人はとても幸せそうで、彼女は嬉しそうにお腹を撫でていました。それを見た夫もニコニコしながら、一緒になってお腹をさすっていました。

それを見ながら私は、「どうして今、私の前でそれをするんだろう」と思ってしまいました。

妊娠したことを隠してほしかったわけではありません。私の前で喜ぶな、と言いたかったわけでもありません。でも、手術を終えたばかりで、子どもを持てないことが決まった友人が目の前にいると知っているなら、二人で幸せそうにお腹を撫でるところまでは、私に見せなくてもよかったんじゃないか。そう思わずにはいられませんでした。

その日は普通に別れましたが、家に帰ってから泣きました。これだけがきっかけというわけではありませんが、子どもがいる友人との間に少しずつ壁を感じることも増え、その後、付き合い方自体も変わっていきました。今の友人関係については、こちらの記事にも書いています。

子なし夫婦は友達が減る?子持ちとの付き合い方から考えるライフステージの変化
💡この記事はこんな人におすすめ:・子なし夫婦の友達付き合いに悩んでいる・子持ちの友人と疎遠になってきた・40代になり人間関係が変わったと感じる・一人時間や夫婦の時間を大切にしたい40代子なし夫婦である私の実体験をもとに、人間関係との向き合い…

「つらいから配慮してほしい」という気持ちは分かる

こんな経験もあったので、不妊治療中の人が「友人の妊娠報告がつらい」「赤ちゃんの写真を見るのがしんどい」と感じる気持ち自体は、私にもよく分かります。自分が欲しかったものを持っている人が幸せそうにしている姿を見るのは、時期によってはかなりきつい。相手に悪意がなくても、傷つくことはあります。

ただ、ここから先は少し別の話だとも思っています。

私は、自分が子どもを産めないことを理由に、周りの人に妊娠や出産の喜び方を変えてほしいとは考えていません。妊娠報告をするなとも思わないし、赤ちゃんの写真を載せるなとも思いません。誰かが傷つく可能性があることを理由に、他人の生活や表現をどんどん制限していくのは違うと思っています。

今では、友人や知り合いの妊娠や出産を心から喜べます。でも、今でも目の前で知り合いの夫婦二人が幸せそうにお腹を撫でていたら、正直なところ少し複雑な気持ちにはなると思います。

だから、配慮なんて一切必要ないとも思いません。事情を知っている人が目の前にいるなら、その人の状況を少し想像する。その程度のことは、妊娠や不妊に限らず普通の人間関係でもあるはずです。私があの友人夫婦について今でも思っているのも、それだけです。妊娠を隠してほしかったわけではないし、幸せそうにするなとも思わない。ただ、あの場で、あの仕草までする必要はなかったんじゃないか。

その出来事以降、自然と彼女たちとは距離を置くようになりました。妊娠そのものより、「ああ、そういうことをするんだ」と感じてしまったことの方が大きかったのだと思います。悪気がなかったことは分かっています。でも、たぶん私なら同じことはしなかった。その感覚の違いが、私の中では残りました。

配慮はどこまで求めていいのだろう

SNSなどを見ていると、妊娠報告についていろいろな意見があります。不妊治療中だから配慮してほしいという人もいれば、妊娠した人だって普通に祝ってほしいという人もいる。そのやり取りを傍から見ていて、ひどく疲れることがあります。

誰かが傷つく可能性を考え始めると、配慮には終わりがありません。妊娠した、子どもが生まれた、家族写真を載せた。どれも、それを見るのがつらい人はいるでしょう。でも、それを理由に幸せな側が常に周囲の事情を想像し、自分の言葉や行動を調整し続けなければならない社会になることには、私は強い違和感があります。

私は「自分がつらい」と感じることと、「だからあなたが私に配慮してください」と求めることは同じではないと思っています。配慮してもらえればありがたい。でも、それが当然のものになり、周囲が常に自分に合わせることを求めるところまでいくと、何か違うんじゃないかと。

たぶん私が求めているのは、ルールとしての「配慮」ではなく、その場にいる相手への想像力なんだと思います。

不妊治療は、私よりつらそうに見えることがある

私は子どもを持つ可能性を、ある日突然失いました。もちろん当時はきつかったのですが、受け入れるしかなく、結論だけはその場で出ました。その後、時間をかけて痛みは少しずつ薄くなっていきました。

一方、不妊治療には「もしかしたら」が残り続けます。次ならうまくいくかもしれない。もう一度やってみよう。この治療まではやってみよう。可能性が完全にゼロにならないからこそ、自分で終わりを決めなくてはいけない。

私はその経験をしていないので、本当のところは分かりません。それでも外から見ていると、私よりつらそうだな、と思うことがあります。私の経験が、突然頭の後ろから殴られて、その痛みが時間とともに薄くなっていくようなものだったとすれば、不妊治療はいつ終わるか分からない痛みを抱え続けるもののように見えます。

どちらの方がつらいかを比べたいわけではありません。苦しさの種類がかなり違うのだと思います。ただ、希望と絶望が何度も行き来する、先の見えない治療は本当につらいだろうなと感じます。

お金のことでも相当悩んだと思う

そして、もし私が不妊治療の当事者になっていたら、おそらくお金のことでもかなり悩んだと思います。私はもともとお金を貯めるのが好きだし、将来のために資産を作りたい気持ちも人一倍強いからです。

結果が出るかどうか分からないものに、あといくら使うのか。いつまで払い続けるのか。どこで終わりにするのか。結果に確証がないまま大きなお金を払い続ける状態は、私にとって相当なストレスだったと思います。

そのお金があれば夫婦で旅行に行けたかもしれないし、投資したかもしれない。家のことに使ったかもしれない。もちろん、子どもが欲しくて治療している人に対して「そのお金で旅行した方が楽しいのに」などとは思いませんし、子どもを望んでいる本人にとって、旅行と不妊治療は比較できるものではないでしょう。

ただ、人生に使えるお金も時間も有限です。結果が分からないものに、その二つをどこまで使うのか。私だったら、かなり悩んだと思います。

今の私は、夫婦二人の将来を前提に資産形成をしています。子なし夫婦としてのお金の考え方については、以下の記事にも書いています。

子なし夫婦の資産形成|7500万円までの10年の推移
こんにちは、yushiです。関東在住の40代前半子なし共働き夫婦、セミリタイア(サイドFIRE・バリスタFIRE)を目指している(元)バリキャリ会社員です。💡この記事の概要:長期的な資産形成や投資信託での運用を行っている方、あるいはこれから…

将来の設計図を書けないことも、きついと思う

人は、ある程度先のことを考えながら生きています。数年後にはこうなっていたい、そのために今年はこれをしよう、と目標から逆算して動くことも多いと思います。仕事でも資産形成でも、私はかなりそういう考え方が強いタイプです。

でも、不妊治療は本人が努力したからといって、結果が約束されるものではありません。来年には子どもがいるかもしれないし、いないかもしれない。治療を続けているかもしれないし、終えているかもしれない。家族構成そのものが決まらない状態では、その先の生活設計も作りにくいでしょう。

私の場合は突然、子どもを育てるという選択肢を失いました。増えない家族を受け入れるまでの痛みはありましたが、少なくとも、その後の人生の設計図を描き直すことはできました。何年先まで続くか分からない不確実な状態に居続けることには、またまったく違う種類のしんどさがあるはずです。

本当は、私もその世界の中にいるはずだった

私も本当は不妊治療や妊娠について皆と議論する側になるはずだったんだ

妊娠した人、不妊治療をしている人、妊娠報告をする人、その報告をつらいと思う人。SNSではいろいろな立場の人が、それぞれの気持ちを話しています。

私は今、それを外側から見ています。でも、本当は私もその中にいるはずだったんですよね。

私は最初から子どもが欲しくなかったわけではありません。妊娠する側になったかもしれないし、不妊治療をする側になったかもしれない。

だから、「祝ってほしい」「配慮してほしい」というやり取りを見ると、どちらの気持ちもなんとなく分かる一方で、妙に疲れます。本当は私もその中にいるはずだった。本来なら自分もそちら側で何かに悩んでいたのかもしれないのに、今は完全に蚊帳の外から見ている。そのことにも、少し変な感じがあります。

今はもう、子どもを持てなかったこと自体はどうでもよくなりました。結果的にそうなっただけです。

それでも、不妊治療や妊娠をめぐる話を見ると「みんな悩んでいるんだな」と苦しくなるのと同時に、ひどく疲れた気持ちになります。私は不妊治療を経験していないので、分からないことの方が多い。ただ、突然可能性を失った側から見ると、「まだ希望がある」という状態が本当に苦しそうに見えることがあります。

そして「配慮」について、たくさんの人が意見を交わしているのを見るのもしんどい。この人は傷ついているんだろうな、と思うこともあれば、この人はもう少し相手の状況を想像して発言した方がいいのにな、と思うこともある。反対に、そこまで周囲に求めるのは少し違うのでは、と思うこともあります。

自分が傷つくことを理由に、周囲にどこまでも配慮を求めるのは違う。でも、人によって傷つく場所も、受け取り方も違います。

結局、このあたりに誰にでも当てはまる正解を作るのは難しいんだろうな、と思います。

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